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2015.09.06

カロリー0な「うま味」にまつわる、おいしさの科学

だしに欠かせないうまみ成分を含む、昆布やかつお節などのイメージ画像

ユネスコ無形文化遺産に登録され、世界からさらに注目を集めるようになった「和食」。その味の根底を成すものが、今や「Umami」として世界共通語にもなっている、日本人にはおなじみの「うま味」です。しかし「うま味って何?」と聞かれた時、どう説明したらいいのでしょう? 私たちが、食べ物を「うまい」と感じるのはなぜでしょうか? そんな私たちの身近な不思議を、東京大学名誉教授で、味の素株式会社の初代健康基盤研究所所長もされた高橋迪雄さんに伺いました。

うま味はなぜ「うまい」のか?

日本にはだし文化があります。たとえば私たちが、蕎麦を「ズズ〜ッ」と音をたてて食べるのも、だし文化の影響だと言われています。落語の『時そば』などでもそのシーンがあるように、古くから私たち日本人はこの食べ方を好んできました。一説によると、蕎麦とつゆを空気とともに口に入れることで、だしの香りを立て、舌だけでなく、鼻でも味わうために編み出された食べ方なんだとか。

そんな風に私たちの文化に深く根ざしている「だし」の主成分といえば、ご存知、「うま味成分」です。昆布などに含まれるグルタミン酸、かつお節などに含まれるイノシン酸、そしてシイタケなどに含まれるグアニル酸などが代表的なうま味成分たち。

しかし、どうして私たちはこれらの成分を独自の味覚として、いわば「うまい」と感じるようになったのでしょうか? 高橋迪雄さんによれば、私たち日本人のルーツ、さらには人類の「狩り」の歴史にその秘密があるようです。

「話は私たちがまだ大地を走り回って狩りをしていた頃にさかのぼります。私たちの狩りは、他の肉食動物とくらべて非常に特異なものでした。その方法は、獲物の動物を数十キロメートルにわたって追いかけ回し、その動物が力つきて倒れた時に捕獲するというもの。約1万年前に農業が発明されるまで、この狩りのスタイルが約699万年間も続いていたのです」

つまり私たちの先祖は、マラソンのような方法で生計を立てていたということ。人類は他の動物のように毛皮を持たず、全身から汗をかいて身体を冷やすことができます。こうした身体の特徴は、他の肉食動物があまり活動できない暑い昼間に、獲物を数十キロメートルにわたって追いかけるための「適応」の結果なのだと高橋さんは話します。

「そうした狩りをしていたのは成人の男性ですが、私たちの食事もまた、他の肉食動物と比べてめずらしいものでした。つかまえた獲物をその場で食べるのではなく、家族の待つすみかに数十キロメートルも持ち帰ってから食していたのです。運んでいる間に時間がたちますから、死んだ生物の肉体は自ら分解が進んでいきます。つまり獲物の肉の中では「熟成」が進むのです」

「うま味」は狩猟の時代からの記憶

「そして熟成されて出てくるのが、「うま味」の成分・グルタミン酸。彼らは狩りからすみかに戻った時、うま味成分にあふれた肉を持ち帰り、家族みんなで食べるのが習慣です。それゆえ『今、命の源であるタンパク質を食べている』という信号として、舌がグルタミン酸を感じ取るようになったのです。この時、人類の舌に『うまい!』という感覚は、おそらく大切な食物が得られた幸福感とも重なっているのでしょう」

人類が知らないうちに発見し、私たちを今も「うまい!」と言わせる味覚「うま味受容体」。これは本来、身体の維持に欠かせない必須アミノ酸を持つタンパク質を摂取していることを知るためのセンサーだったのです。ちなみに今、グルメ通の間ではにわかに熟成肉がブームですが、その食べ方は、私たちの祖先の食卓そのものだったのかもしれません。

だしの文化は、貧しさから生まれた!?

私たちは狩りの歴史からうま味を感知するセンサーを身につけましたが、どうしてここ日本で、うま味が進化したのでしょうか? 豊富なだし文化を通して、人工的にうま味を食事に取り入れてきた日本人。そこには、今でこそ「海の幸・山の幸」に恵まれる日本も、私たちの祖先がやってきた頃は、けっして、狩りの獲物が満ちあふれた、豊かな土地ではなかったことが影響しているようです。

「アフリカで誕生した人類は世界中にひろがりましたが、そこは獲物となる動物が少なく、必ずしも住みやすい土地でなかったはずです。日本は海に囲まれた島国です。そこで、タンパク質は肉ではなく、主に浜辺の魚介類から得るようになりました。その証拠に、かつて日本で私たちの祖先が住んでいた場所の多くには、『貝塚』の遺跡が見つかりますね」

そんな日本でも、やがて農耕社会が発展します。しかし農耕で得られる穀物は、炭水化物はリッチですが、タンパク質は少ししか含まれていません。生きて・考えて・行動するために必要なタンパク質を自分のカラダの中で新たに作りだすには、食事から『必須アミノ酸』をとることが不可欠。したがって、穀物中心の食事で十分な必須アミノ酸をとるためには、『たくさん食べる』ことが重要になります。そして、その頃の日本人には、約699万年間をかけてうま味を追いかけた味覚がすでに存在していました。

「うま味を感じないものをたくさん食べるのは今と同様、なかなかに難しい。そこに、だし文化の原型が生まれたのではないかと私は思います。ご飯にかけるかつお節のように、うま味成分の入ったものを混ぜることで、穀物(日本の場合はお米)をたくさん食べられることを私たちの祖先は発見したのです。つまり、だし文化の原型は、山や海にあるうま味成分によって舌をだまし、たくさんの穀物や野菜をとることで、必要な必須アミノ酸を確保する日本人独自の工夫だったと考えられます」

私たちが海や山からうま味成分を見つけてきたのは、肉や牛乳など、畜産物由来の食物が発達しなかった中で生き抜くための、先祖の知恵だったのです。

世界中に「うまい」幸せを

そして時が経った現在、太古に世界共通の味覚として生まれ、日本人が貧しさの中から編み出したうま味は「カロリー0のヘルシーなおいしさ」として世界中から注目されています。

「うま味は、世界の食糧事情を最適化する力でもあります。今も世界では多くの人が飢えに苦しみ、十分なタンパク質を摂取できない地域がたくさんあります。そうした世界で、人々が平和に、健康に共存するために、うま味の力は必要です。うま味成分さえあれば、必須アミノ酸の少ない穀物のような食べ物も、たくさん食べることで、必須アミノ酸の欠乏が防げるからです」

高橋さんによると「うまい」という感覚は、「痛い」や「熱い」といった、人間の本能的な感覚の一つです。しかし「うまい」の歴史は、この感覚が「家族の幸せ」といった感情とつながっている可能性を示しています。

「生まれたばかりの赤ちゃんの舌の上にうま味成分を乗せると笑うといった研究結果もあります。うま味は、私たちの幸福感に深く関わっていることがわかります。うま味と言うと、ついつい栄養学の世界だけで論じられがちですが、これからは生物学や社会学など、さまざまな世界と関わっていくべきだと思いますね」

700万年間、大地で獲物を追い回していた頃から、私たちにとって「食べる」は、最も大切な行為。そして私たちは今も「うまい」という時、とても幸せな気持ちになります。カロリー0のうま味は、生命を受け継いできた人類の歴史に裏付けられた、幸せの味だったのです。

高橋迪雄(たかはし みちお)

1939年石川県生まれ。東京大学農学博士。東京大学名誉教授。東京大学農学部教授(獣医生理学)、日本獣医学会理事長、日本繁殖生物学会理事長、日本内分泌学会理事、味の素(株)健康基盤研究所所長などを歴任。2000年度第37回日本農学賞・読売農学賞受賞。専門書、研究論文多数。一般書として「ヒトはおかしな肉食動物(講談社)」など。

文: 森旭彦

写真: Thinkstock/GettyImages

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