Foodie(フーディー)は、三越伊勢丹グループが運営する食のメディアです。

2015.10.21

読み物・コラム

花と食で彩る日本の暦〜『寒露』、『霜降』

すこしずつ冬の足音が聞こえはじめる季節

神無月10月の二十四節気は「寒露(かんろ)」と「霜降(そうこう)」。美しい月に見惚れたり、金の稲穂の刈り取りや、たわわな果実の収穫を慌ただしくしているうちに季節は駆けていき、冬がもうすぐそこまで来ているのだな、という感じがします。

「寒露」は結んだ露が冷気によって凍る頃。冬鳥が列島に飛来しはじめ、菊の花の開く頃。「霜降」は露が霜となって降り始めます。大地は氷の結晶で薄化粧し、木枯(こがらし)は楓や蔦を染めていきます。

紅葉前線は山裾を駆け下り、国土のおよそ7割を占める森の樹々を彩っていきます。山に「錦秋」の錦を織るのは竜田姫。春の左保姫と一対となる女神です。もともとは風の神様で、竜田山の紅葉も彼女の息吹で色づき、織り上げられるのでしょう。

竜田と言えば、在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」は有名です。水底に沈み積もる紅葉、岩陰に溜まる紅葉、裏を見せ表を見せて散る紅葉、流れに覆いかぶさる紅葉した梢、水面に映る紅葉影。竜田川は真っ赤な紅葉のトンネルで括られ、紅葉を縫いながらくぐり抜けていく、そんなイメージなのでしょうか。どこからが流れなのかもはやわからないくらい、紅葉に埋め尽くされた中で、水流の音だけがする情景が目に浮かびます。

儚い生命のきらめきを愛で、遷(うつ)し、祝う

実は植物学的には「モミジ」という科や属はありません。カエデ科カエデ属の中でも、特に紅葉が赤く綺麗なもので、子どもの手のような葉形のもの(イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジなど葉が五つ以上に切れ込んでいるもの)を「モミジ」と呼びます。そしてこの「モミジ」として親しまれているカエデの仲間はほとんどが日本列島に自生するものなのです。風景は情緒をつくります。もみじの多層な赤のグラデーションは、色彩へ微細なニュアンスを私達の五感や、表象文化にもたらしたもののひとつでしょう。

一口に「あか」といっても、漢字だけでも赤、紅、朱、茜、緋、丹などなど。色は昔から薬でもありました。見たり身につけたり、香りを嗅いだりして身体に取り込んでいきます。赤は太陽、炎、血というエネルギーの源も意味し、大地の土の色でもあり、浄化も意味しました。


紅葉は、冬の訪れの前の生命の最後のきらめき、燃焼です。鮮やかな、艶っぽい赤は一瞬の儚いものです。その先には死(眠り)があり、落ち葉や枯れ葉となります。楓等は冬枯れの幹もつややかなもので、新緑もまた美しい。私達はまた来年の緑や花の燃え上がり(再生)を祈りつつ「紅葉狩り」や「紅葉賀(もみじのが)」でうつろいを愛で、目に焼き付け身に遷し、生きることと重ねて祝うのでしょう。

様々な色合いを見せる木々

紅葉の名所は各地にありますが、名所と呼ばれなくても美しい場所は沢山あります。里山のいわゆる雑木林の段だら模様も美しいものです。澄んだ空には艶やかなナナカマドやウルシの赤や、ダケカンバやハルニレなどの黄、ブナやケヤキ、クヌギやトチノキなどの褐色系が、常緑の杉や椎や松の仲間に混じって山を彩ります。

カブトムシやクワガタを捕った、夏の緑の林が今やこんなに色づき、命が横溢(おういつ)していたあの夏が今は水気を失い、かさこそと葉ずれの音をさせ、朽ちていく葉の匂いが鼻腔をくすぐります。ふとそんな少年時代を思い出します。赤い実のガマズミやイイギリナンテン、カマツカ、ノイバラ等も目立ちます。

前回も書きました通り「花」は春の季語で「花野」は秋の季語。小さめの色とりどりの花が群れ咲く野では名も知らぬ草の葉の紅葉も「草紅葉(くさもみじ)」と呼ばれ、より奥ゆかしい秋の風情を生んでいます。秋蝶が舞い、虫が鳴き、金色のエノコロソウや、ヨモギやアワダチソウ、ツタウルシやらヤマブドウやら、それらを見るだけで多様な生の営みを知ることができます。

木々の隙間から見える秋の空

街では街路樹として植えられた銀杏やアメリカ花水木、槐(えんじゅ)や桜の並木も目を楽しませてくれますね。よく見ると葉は1枚として同じものはなく、1本の木の中でもそれぞれの役割があります。

猫じゃらしだって、ギシギシやススキだって、渋くて綺麗な草紅葉を見せてくれます。都市の樹木とか道ばたの雑草と言うと一様な感じがし、さほど注意を向けないかもしれません。でも、一歩踏み込んで目を凝らしてみれば奥の扉が次々と開いてくるように思います。その1枚の葉に、ひとひらの花に、1本の木に出会うということが、自分にはとても大事なのです。

「紅葉」と書いて「もみじ」と読みますが、もともとは「もみち」と呼ばれていました。それも特定の植物をさす訳ではなく、秋に草木が赤や黄に変わることを「もみつ(紅葉つ、黄葉つ)」や「もみづ」といいました。

この言葉は紅花の色素から手間ひま掛けて「紅(べに)」を「揉み出す」ことと通じ、緑の葉に潜んでいた赤(アントシアニン)や黄(カロチノイド)が、時雨(しぐれ)や霜など、寒さや冷たい風雨、氷によって揉み出されてくるものと見ていたのですね。
実際本紅は「寒中丑紅」という言葉もあるように、1年の最も寒い時期に冷たい清らかな水を使って揉みいだし、つややかな赤を生み出してきました。女性の一生と「紅」は深い繋がりがあり、通過儀礼にはつきものです。七五三や結婚式で、母が娘に紅をさしてあげる風習もあったそうです。

古来、人は「あか」のちからを感じ、共に歩んできた

茜色に染まる秋の夕焼け

赤は古来魔除けの色です。春秋のお彼岸は牡丹餅お萩の小豆餡、お正月やクリスマスの赤い実、雛祭りの菱餅、小正月の花びら餅などでも使います。赤を明るくかがやく色というもともとの意味でとらえれば、菊の黄色や、鏡餅の橙(だいだい)、ハロウィンのランタン、冬至の柚なども同じ意味を持ちます。赤は暁(あかつき)の太陽の色、生まれたばかりの赤ちゃんの色。

「赤」という漢字も人が火によって浄められたかたちだと言われています。太陽と小さい太陽である火の再生、新生のちからを「あか」から感じ、それを身につけたり、食したりしてきたのです。夜という闇から再生した「あか」や闇を照らす「あかり」や炎は魔を寄せつけず、祓うものになります。

紅に染まったひとひらの落ち葉

どうして「紅葉」という現象が起きるのか、実はまだ良くわかっていないと言われています。地上に落ち、分解され新しい命の養分となる、つまり次の命の場所になるわけですが、より分解されやすくなるとか、分解者になんらかの益があるのだろうと思います。そうした次の命への想いに似たものが、あの鮮やかな粧(よそお)いを見せてくれるのかもしれません。

植物は彼らの身体を通してあらゆる恵みをもたらしてくれます。太陽や月や土や水から受け取ったエネルギー、その多くを使い切らず、かたちを変えて放出してくれています。紅葉を愛でる私達にもその「ちから」は伝わっているはずですが、どうでしょう。植物や小さな命から教えられることは限りなくあると思うのです。

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_4塚田有一(つかだ ゆういち)

ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。

文: 塚田有一

写真:みやはらたかお

※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。商品の情報は予告なく改定、変更させていただく場合がございます。