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2015.10.01

読み物・コラム

廣瀬純「美味しい料理の哲学」#1 切断について

おいしさを語る言葉を、私たちはどれほど持っているでしょう。これほど多様な、美食といえる料理、素材、知識が手の届く場所にある現代の日本で、その豊かさに対応する言葉や論理は貧困なままではないでしょうか? 著作『美味しい料理の哲学』にて料理、そしておいしさを思考し、食の体験をより豊かにすることを目指した廣瀬純さんによる美食の哲学講義。第一回のテーマは、「切断」です。

「切断」が料理を発生させる

スライスされるきゅうりのイメージ例えば、キュウリ。キュウリはさまざまな仕方で「切断」することができます。そのままキュウリをかじる「切断」。梅肉などと和えるための大粒の「切断」、透けるほど薄い「スライス」は、しんなりと酢の物または氷水でぱりっとさせて爽やかなサラダに。千切りにすれば冷やし麺のアクセントにもなります。

重要なのは「切断」によってキュウリの味があからさまに変化するという点です。あたかも一本のキュウリにはさまざまに異なる無数の「おいしさ」が潜在していて、そのなかからひとつの特定の「おいしさ」が切断の仕方に応じて引き出されてくるかのようなのです。漬け物のキュウリでもスライスする角度や厚さなどに応じてまるきり異なる味になることは、皆さんも経験としてご存知だと思います。

フランス人哲学者のジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『アンチ・オイディプス』という日本でもよく知られたとても有名な共著で「切断」を論じているのですが、彼らはその一例としてハムを取り上げて、次のように書いています。

「どんな機械も、何らかの連続した物質的フロー(流れ)との関係のなかで働くものとしてあり、フローをスライスする。どんな機械も、ハムのスライサーのように作動する。すなわち、フローを切断することで、そのフローから何かを抜き取るのである。〔…〕フローは、それ自体としては、ひとつの巨大な豚もも肉の無限かつ理念的な流れのようなものとしてある」(廣瀬・訳)

ドゥルーズとガタリの言っている「機械」というのは、たとえば動物や植物の身体を形成しているさまざまな器官、あるいはまた、さまざまな道具や構築物のことです。他方、「フロー」とは、気体状であったり、液体状であったり、固体状であったりする物質のさまざまな流れ、あるいは、言語や信号の流れのことです。ドゥルーズとガタリはそんな「機械」や「フロー」がさまざまな出会いを繰り返しているような場として社会や自然、宇宙を構想しているのです。たとえば、口は空気の流れを切断し特定の音を生産し、耳は音の流れを切断しそこから特定の意味を引き出す。目は光をスライスしそこから特定の映像を産み出し、植物の葉もまた太陽光を切断することで光合成を行っています。

興味深いのは、ここでドゥルーズとガタリが、ハムはスライスされない限り「巨大な豚もも肉の無限かつ理念的な流れ」というなにやら得体の知れないもののままにとどまると指摘している点です。ハムはスライスされることではじめて「ハム」になる。「ハム」になるのと同時に特定の「おいしさ」になるということです。フローは切断されることなしには流れない。実際、生ハムを生産している職人のうちには、小売店にカッティング、スライスの技術の熟練を求め、一定水準に達しているとみなし得る小売店にだけ取り扱いを認めるという人もいます。彼の求めるやり方に厳密に従った「切断」によってはじめて彼の定義する「おいしいハム」が産み出されるということです。

スライスされるハムのイメージ素材にどのように刃を入れるか。刃の傾きの僅かな違いがまるきり別の味、まるきり別の「おいしさ」を生じさせてしまう。包丁さばきが料理の誕生においていかに決定的であるか。和食であれば、お刺身、ハモの骨切りなどのことを思い起こしてみてください。素材の切断はたんに食べやすい大きさにするということでは微塵もないのです。今夜、料理になることを待っている買物かごのなかの肉塊やうろこをまとった魚、今朝まで土に繋がっていたかもしれない新鮮な野菜たちを「料理」にするのは、何よりもまず、皆さんの行う「切断」なのです。

ドゥルーズ=ガタリの追求した「切断」による「(おいしさの)生産」という哲学は、今日もあなたの食卓にのぼり、あなたの舌による証明を待っています。

 

廣瀬 純(ひろせ・じゅん)

龍谷大学経営学部教授(映画論、現代思想)。1971年生まれ。著書に『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』(青土社)、『絶望論』『闘争のアサンブレア』(共著、ともに月曜社)、『蜂起とともに愛がはじまる』『美味しい料理の哲学』(ともに河出書房新社)ほか。2015年5月に最新刊『暴力階級とは何か: 情勢下の政治哲学2011-2015』(航思社)を上梓。映画批評、また欧州や南米の社会運動など幅広く思考し舌鋒鋭く語る論客。

文: 畠山美咲

写真: Thinkstock/GettyImages

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