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2015.09.09

花と食で彩る日本の暦〜「白露」、「重陽」

草原を輝かせる穂すすきと秋の空

夏が過ぎ、自然がみのり始める季節。夜が長くなり、暦は天球の祭りや草花に彩られ、日本の文化を思う日も増えていきます。この国の暮らしと共にある和暦のことを、今月もガーデンプランナーの塚田有一さんに教えていただきます。9月の節気は白露、節句は重陽。菊の花とお月見の楽しみです。

秋の野のおしなべたるおかしさは、すすきこそあれ(枕草子)

空は高くなって、渡る風は透きとおって、涼しい日が多くなりました。

「涼しい」と聴くと、清々しいとか澄むとか、すっきり、すっとする、など言葉はつながっていきます。「鈴(すず)」もあります。りんりんと波のように伝わる鈴の音(ね)は清めの意味を持ちます。

秋。山野を見渡せば、著しく目立つのは「すすき(薄、芒)」でしょうか。秋深まれば野山を金色に染め、背丈を軽く超えるほどに穂を高く掲げます。空を掃き清めるように揺れる姿から、もしくは清らかなものを振り出すような姿から「すすき」と名付けられたのでしょう。ほうきで掃いたようなすじ雲や、むら雲、鰯雲、秋あかねや秋蝶の舞う秋の空模様に、すすきはよく似合います。別名に「尾花」とか「美草」があります。西陽に輝く山裾の群落も神々しさや寂しさが相まっていいものです。

 「あき(秋)」の語源は「あか(赤、紅、茜、朱)」でもあり、紅葉の季節にさもあらんと思います。「あか」はそもそも「明るい」を意味する「あか」から来ていますね。ですから、大気が澄んで、いろんなことがクリアになる。明らかになる。浄められたように爽やかな季節のことでもあるのでしょう。「白秋」ともいうように、陰陽五行では秋に白という色を配します。「しろ」は「しるし」「しるべ」「いちじろし(著しいこと)」などのようにくっきりと聖別された色でもあります。二十四節気の「白露」も、朝晩の気温差が大きくなって、夜露朝露を結ぶ季節だということですね。

朝晩に露を結ぶ白露の時候、葉の上の露

重陽の宴には不老長寿の菊の露

9月9日は重陽の節供。敬老の日も近いこのお節供では、菊花の不老長生の力に肖(あやか)って菊の花びらや葉を浮かべた「菊酒」をいただき、前日の晩から庭に植えられた菊の花に真綿を被せておく「着綿(きせわた)」をします。真綿とは絹のことで、ひとつの繭をほどいたもの。繭はコクーンであり、新しい命が更新するさなぎです。それを菊に被せて一晩置くと、菊の香りや力が夜露とともに移るのです。しっとりした真綿で顔を撫でたり身体をぬぐうことで、若返り、長寿がもたらされると考えたのでしょう。露を結ぶことも月が満ちるのと同じように何かが成就することでもあります。夜露を媒介に、菊の花のちから、繭のちからを身に染めたのです。寒くなる前に、菊香で魔除けし、あらかじめ光の記憶を身体に取り込むのです。かつては綿入れも真綿でした。冬の綿入れの頃でもありますね。

菊は、秋から冬の花が咲かない時期に長く逞しく咲きます。香りは僻邪(へきじゃ)となり、花の形状は放射状で、太陽のかたち。括られた花は黄色が多く、こちらも光や輝きをイメージさせます。生命力や太陽、不老長寿の仙境に咲く花のイメージから「高貴な花」として皇室の御紋にもなっています。御仏に手向けられるのも頷けます。

菊華展などの大輪系の菊の印象が強いかもしれませんが、メキシコからやって来たと言われるコスモスも菊の仲間。コスモスは秋桜と書かれるくらい花びらも色も桜に似ている所があります。向日葵や蒲公英(タンポポ)もダリアもマーガレットもジニアもマリーゴールドも蓬(ヨモギ)も蕗も紅花も菊の仲間です。

秋を彩る代表的な花、コスモスが群生する草原

菊の仲間、秋の野には紫苑(シオン)や反魂草(ハンゴンソウ)、秋の七草の一つであるフジバカマや薊(アザミ)などなどが咲きます。「花」は春の季語ですが「花野」といえば秋の季語。夏の緑のグラデーションから、秋の花野は先ほどの菊の仲間を中心に秋咲きの控えめの花々が色づき、「草もみじ」と呼ばれるように百草の葉も染まり、種や実もそれぞれの色を纏って、織物のような繊細な調べを、音楽のように聴くことが出来ます。もちろん秋の虫たちも。

秋のお彼岸の頃に咲くのは彼岸花。またの名を曼珠沙華。万葉集の「いちし」ではないかとも言われています。他にも怪しげな、暗い名をつけられていますが、この球根には毒があり、土葬の頃の名残で獣に荒らされないためにこの花を植えたと言われています。確かに怖いくらいに赤く、しかもいっぺんにたくさん咲くので怖さが増すのかもしれません。でも、昔の人はきっと燃え上がるように咲くこの花を見ると「灼(いちしろ)く」草葉の陰の懐かしい人を思い出していたのかもしれませんね。

燃え上がる紅の曼珠沙華、彼岸花の花

水を掬すれば月手に在り(干良史『春山夜月』)

秋には夜空も澄んでお月様も冴え冴えとして姿を見ることができます。

月と露というと忘れられない光景があります。10年ほど前に沖縄は浜比嘉島の「エイサー」を見に行ったときのことです。エイサーはお盆の行事で「盆踊り」のようなものですが、沖縄の各地では今も旧暦の八月一五日、つまり満月の夜に集落ごとに「エイサー」が開かれます。浜比嘉島では、いくつかのグループに分かれて一軒一軒の庭先でひとくさりを歌い舞いながら集落を練り歩き、やがて広場に集まって踊るのですが、広場での踊りの前、必ずと言っていいほど驟雨(しゅうう)に見舞われるといいます。その時も強い雨が通り過ぎたかと思ったら、空にぽっかり満月が浮かび、雨に洗われた島の隅々にまで月光が満ちていました。屋根の上のシーサーや、石灰岩の白い道や庭が浮かび上がり、ハマヒルガオ、ハマユウ、アダン、ビンロウジュ、ゲットウなど、静かに青く発光しているようでした。

そして、宿泊地への帰り道。草むらの中の一本道を歩いていると、両側の草原がきらきらと光っています。さっきの雨の雫が草の葉につき、その一粒一粒に満月が写っていました。野に散り敷かれた真珠のごとく、月を宿した滴りは夢幻の曼荼羅でした。月に心が攫われたその時のことは、ずっときれいな宝石のようになって心に残っています。

秋の澄んだ夜空に浮かぶ満月

九月は「仲秋の名月」もあり「お月見」をします。

お月見の花は秋の七草を中心に供えますが、特にすすきは欠かせません。すすきは茎が空洞(うつろ)です。月の神様が降りてくるのにいいのです。花の他には中国では月餅、日本ではお団子。白く丸めたお団子は満月を現し、仲秋の名月では十五個お供えします。十五は満月の月齢です。

世界中に月神がいますが、多くが女神であり、大地の女神でもあります。月は欠けてから数日闇に沈んだ後、再生し、また満ちて行くことを永遠に繰り返します。それは冬には枯れて春になるとまた芽吹き、花咲き繁茂する植物と類同的なものと見られ、また、月の重力は潮の干満だけでなく陸地のあらゆる生き物の水的なものに関わり出産にも影響を及ぼします。植物ほか生命に強く関わっていますから「草の母」とも呼ばれます。そしてそのいのちを孕み、生むのは大地の力を持つ女性です。そこで月神はだいたい大地の女神なのです。イシス、アルテミス、ディアーナ、イナンナ、アフロディーテ、マリア……。

稲穂が稔り、収穫が始まる季節。冴えた美しい月に祈り、稔りを感謝します。月の形代であるお団子をお供えし、旬の稔りを盛り、花を立て、酒を献じます。「酒(さけ)」は「聖なる気(けはい、き)」を呼ぶものでしたから、お酒になる穀物の稔りを口に含み発酵の種をつくる役割はお妃や聖なる乙女のものだったようです。「噛む」が「醸す」となり、時を置いて香り豊かな「さけ」が生まれます。日本酒に「菊」とか「月」の名のつくものが多いのには、この季節の神々、そして花々の謂れがあるのですね。

月の模様はいろいろに見えますが、日本で一般的なのは「兎の餅つき」でしょうか。一説ではこれは薬になる草を搗いているのだとも言われています。もしかすると月兎は飲み過ぎに効く薬草を調合して搗いてくれているのかもしれません。

塚田有一塚田有一(つかだ ゆういち)

ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。

文: 塚田有一

写真:みやはらたかお

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