2015.05.06
花と食で彩る日本の暦〜 二十四節気『立夏』
夏の立つがゆへ也(暦便覧)
「山笑う」から「山滴る」へ。
北国ではまだ山が「笑い」はじめたばかりでしょう。「山笑う」とは何とも素敵な言いようで、山野へちょっとでかけると、あちこちから生まれたばかりの草木虫魚の歌や笑い声が聞こえてきそうです。正岡子規もこんな歌を詠んでいます。
「故郷やどちらを見ても山笑ふ」 正岡子規
でも、暦の上ではゴールデンウィークが明ければ「立夏」となり、夏の気配や香りが発ちはじめる時。 「山笑う」は春の季語で、もともとは郭煕(かくき)という北宋の山水画家の画論「臥遊録」の「春山淡冶(たんや)にして笑うが如く 夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く 冬山惨淡として眠るが如し」から来ているそうです。晩春から初夏にかけては、天候もやや荒れますが、それもようやく落ち着いて青葉若葉が広がり、さわさわと音を立てる。更新したばかりの常緑樹の新緑が陽光を拡散させる爽やかな季節が訪れます。立夏から立秋までが「夏」ですから、5月は「山滴る」の季節へ生命がいよいよ横溢(おういつ)して行くときなのです。
目に青葉の季節、生命の色躍る歌枕
「眼には青葉 山ほととぎす 初鰹」 山口素堂
江戸時代に歌われたこの季節の旬のもの。
この句に少し分け入ってみましょう。きらきらしい青葉の季節、薫る風が揺らす若葉の息吹が、眼や身体を満たしていきます。
「ほととぎす」といえば“テッペンカケタカ”と鳴く鳥ですが、漢字では「子規」「時鳥」「不如帰」「杜鵑」などと書かれます。初夏、日本の山を染め上げる山躑躅(やまつつじ)の一種も「杜鵑花(とけんか)」の名を持ちます。『蜀王本紀』に望帝杜宇(ぼうていとう)の逸話があり、祖国を離れた王が、死んだ後も滅びた祖国に戻ろうと、ほととぎすに化身し血を吐くまで啼き続けたというもので、それは躑躅(つつじ)の色でもありました。「杜鵑」「不如帰」などはその物語に因んだ名ですね。冒頭にあげた正岡子規は、結核で血を吐いたことから「子規」を名乗ったそうです。
山躑躅が咲く頃、ほととぎすは囀(さえず)りの季節で、赤い山躑躅とセットでイメージされます。その鳴き声は農作業をはじめる合図でもありましたから「時鳥」とも書かれるのです。いずれにしましても、この季節の山を象徴する「ほととぎす」から、故事や躑躅へと連想は繋がっていきます。
更に、まさに旬の魚である初鰹。初物は今でも高値が付けられますが、江戸時代は特に、走りものにはヤセガマンしてでも飛びつくのが「粋」だったようです。初鰹は黒潮に乗って南の海から北上してきますから、この句にはそんなダイナミックな地球の営みや四季のめぐり、生命の不思議さも歌われているのでしょう。色彩的にも鰹の銀青とでもいいましょうか、新緑の緑や躑躅の赤に加わっていますね。
意気地や、負けず嫌い、恋心や、無常観などと一緒に、きらめく瞬間を圧縮した俳句や和歌。解凍すれば、瞬く間に香りたち、緑が滴りはじめます。生きている風土のことやそこで育まれてきた五感が、今を生きる僕たちそれぞれに受け継がれているのだと思えます。
五月五日の「端午の節供(せちく)」のこともすこしお話ししておいた方がよさそうです。旧暦の五月、つまり新暦の六月頃に祝うのが本来なのではありますが、僕は折角なのでお節供については新暦/旧暦の二回楽しんでもいいのではないかと思っています。
「端午の節供(子どもの節供、菖蒲の節供とも)」といえばまず思い出すのは「五月人形」でしょうか?「鯉のぼり」、「柏餅」、「菖蒲湯」なども思いつきますね。
何年か前、東京郊外でお米を作っている友人宅を尋ねたことがありましたが、その時に土地のおじさんに「軒菖蒲」のことを聞いた所、田んぼの一角に群生している菖蒲を抜き、あぜ道の蓬(よもぎ)を合わせて束ね、薄(すすき)の葉でくるくると結わえてくれました。手慣れた手つきでぱっぱと葉を取り束ねた、それだけのものなのですが、何やらずっしりしていたものです。それは「軒菖蒲」と呼ばれたもので、端午の節供を迎えるに当たって僻邪(へきじゃ)として茅葺き屋根に挿したものです。
菖蒲も蓬もご存知の通り香りが高いもの。昔話の「くわず女房」はそれらの草をどうして端午の節供に屋根に挿すのか、謂れを語る物語でもあります。
5月は苗を植える時期と重なり、五月女(さおとめ)となる女性は物忌みの印に屋根に菖蒲を葺いた「女の家」にお籠りをしました。今でも菖蒲湯に入るのは、こうした禊に古いかたちがあるように思います。「女の家」は「お別火」とも呼ばれました。古くは囲炉裏の火、竃の火が「家」そのものを現していましたから、お籠りをする男子禁制の「女の家」は、厳粛ながらも女たちが日常から離れ、別の時間を過ごせる時だったとも言われています。籠りをして禊を終えた女性はその頃咲いている躑躅などを髪挿して山を下りてきたといいます。そしてその頃には各地で「水口祭り」などが行われるのでしょう。
菖蒲湯の他に、菖蒲葛(しょうぶかずら)、菖蒲打ち、菖蒲酒なども行われ、宮中では薬玉が振る舞われたと言われています。いずれも菖蒲の薬効、香りの高さに肖ろうというものです。
また、菖蒲は葉が刀に似ています。「しょうぶ」が「尚武」に通じますし、他にも鹿の占(うけい)狩り、ベーロン、騎射などもともと武張った風習が多かったため、端午の節供は「男の子の節供」として定着して行ったと思われます。
同じ頃咲くアヤメの仲間は、よく菖蒲と混同されますが、菖蒲は「サトイモ科」、文目、杜若、鳶尾(いちはつ)、著莪(しゃが)などの「アヤメ科」とは異なります。アヤメの仲間も葉が刀のかたちですし、蕾は鉾に、花は兜に似ています。いろいろとややこしいのですが、菖蒲湯に使う香り高い葉はサトイモ科です。
風薫る五月、もうひとつの節気は草木満ちる小満
風薫る五月。清風が樹々を渡り、緑は萌えたちます。まるで風が緑の炎を焚き付けているようです。そんな風を受けて鯉幟(こいのぼり)は空を泳ぎ、矢車はカラカラ廻り、五色の吹き流しは翻ります。5月2つ目の24節気は「小満」で、
「万物盈満すれば草木枝葉繁る」(暦便覧)
とされ、陽気がよくなって、草木などの生物が次第に成長して生い茂るという意味です。
「鯉幟」とは、大空高く「登ることを乞う」ものとも取れます。「登竜門」の故事にちなんだ飾りですが、五月の風を大きく吸い込み、風をはらんで枝葉がどんどん繁るように、憧れいずる旅心を表してくれてもいるようですね。波しぶきをあげて、激流をさかのぼった先には、天翔る龍が見えてきそうです。五月の溢れ出る緑の山河に潜れば、発揮揚々、身が新しくなることでしょう。
塚田有一(つかだ ゆういち)
ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。
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