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2015.07.06

花と食で彩る日本の暦〜『七夕』、『小暑』と『大暑』

花と食で彩る日本の暦〜『七夕』、『小暑』と『大暑』_01

六月晦日(みそか)に「夏越しの祓え」をすると、それから七日目の上弦の月の日が「七夕」です。東京や神奈川などではその七日後の望月の日が「お盆」ですが、日本列島を見渡すと地域によってお盆の行事は大きく3つの時節に分けられます。旧暦の日にちがそのまま新暦に移行した七月のお盆、月遅れの八月のお盆、それから時期が年により変わる旧暦のお盆です。 これらの行事は「夏越しの祓え」が神社の行事、「七夕」は家の行事、「お盆」はお寺ないしは仏教的な行事というイメージが強く、一連の行事としての繋がりはわかりにくくなってしまいましたが、「二十日盆」の神送りまで本来はひと続きの行事でした。

「七夕」と聞いてイメージするのは竹に五色の短冊や色紙でつくったさまざまな飾り物をつけた七夕飾りでしょうか。この風習は意外と新しく、江戸時代に盛んになったといわれています。有名な歌川広重の『名所江戸百景 市中聚栄七夕図』を見ると、屋根から空高く立てられた竹に、短冊をはじめ、吹き流しや、大福帳、盃や算盤、網、瓢箪、鼓や太鼓などなど、御目出度いものや、縁起物を象ったものが目につきます。面白いのは、網とか吹き流しとか、瓢箪などは、なにか良きものを引っ掛けたり、捕まえたりするものであるということです。

笹の葉の音色、お星さまの物語

花と食で彩る日本の暦〜『七夕』、『小暑』と『大暑』_02

「竹」はお正月の松と同じように依り代とされてきたものでした。門松にも使われますね。「竹」の語根は「猛々しい」などと同じく「岳」や「丈」「長け」などとも通じます。竹の生命力、長じる速さ、節を持ち、節と節との間の空隙には「かぐや姫」のお話のごとく、命が生じる空穂(子宮)にも見立てられたものです。また、笹の葉で包まれた菓子やご飯があるように、竹の葉の殺菌力には邪気を祓う力があり、「♪笹の葉 さらさら~」と唱歌で歌うごとく、その葉ずれの音が神の訪れ(音連れ)を察知させたのでしょう。

唱歌には続いて「♪お星様 きらきら~」とあるように「牽牛と織女の物語」もありますね。これは七月七日の夜に織女星(琴座のヴェガ)と牽牛星(鷲座のアルタイル)が天の川を渡って、年に1度だけ逢瀬が叶う、中国の七夕伝説がもとにあります。秋の収穫前に洪水が起こらないように、水を司る星の神を祭る儀式から発展した説話のようです。牽牛というのは牛飼いで、田を耕す農耕のシンボルであり、織姫は養蚕や機織りを司ります。「シルクロード」があれだけの広がりを持つほど、絹糸や、絹織物を手に入れたがった西域諸国の商人が多かったため、男性は農耕、女性は機織りというひとつの農村モデルができたのだと思われます。

「殻(かじ)の葉の上の索餅は七夕の風流」(『尺素往来』)

花と食で彩る日本の暦〜『七夕』、『小暑』と『大暑』_03

七夕伝説もそうやって長く語り伝えられ、中国では5世紀頃から芸事の上達を乞う「乞巧奠(きっこうてん)」も行われるようになりました。のちに日本にも入ってきて、京都の冷泉家には古式が今も伝えられています。

書物によると、冷泉家の南庭には「星の座」と呼ばれる祭壇が設けられ、桃、梨、瓜、茄子、きささげ、鮑などが一対で供えられ、その前に琵琶や琴が置かれています。琵琶や琴は弦が絹糸なのですね。前の段には五色に染められた糸と反物、七草の活けられた花瓶が置かれました。中央には「七箇の池」。

和紙の短冊となる前には、牽牛が天の川を渡る際の「舵」に掛けて「梶の葉」に願いを書いたと言われていますが、願い事をしたためた葉を浮かべる水を張った塗りの角盥が「七箇の池」です。水面に天の川が映れば願いが叶うといわれています。

七月七日は上弦の月。天の川を渡るのはこの月の船。星の祭りですから、「七夕=しちせき」つまり「七日の夕べ」のお祭りということですね。カレンダー通りの七月七日は梅雨どきにあたります。天の川もそう簡単には拝めません。

さて、それではどうして日本では「七夕」を「たなばた」と読んだのでしょう。 旧暦の七月七日は暦の上ではもう秋。盛夏を過ぎ、秋風の立つ頃です。植物もその相を変え、稔りの秋を迎える時となります。古くはこの時節に川辺に桟敷をつくり、髪を洗い清め身を浄めた聖なる乙女が水神に奉仕する祭があったといいます。水神の羽織る神衣を、「桟敷=棚(たな)」にしつらえた「織機=機(はた)」で織ったのです。そして、一夜をともにし、訪れた神が帰る時に共同体全体の罪や穢れは、一緒に持ち去ってくれると信じられていました。「たなばた」はどうやらこの「棚機つ女」から来ているようです。

花と食で彩る日本の暦〜『七夕』、『小暑』と『大暑』_04

七夕飾りをした竹や笹は、翌日には流さなければなりませんでした。これは七夕祭りが終わって、神送りをするのです。川辺や海辺で、場所を決めて流しました。精霊流しや東北のねぶた祭、秋田の竿燈祭などなど、人形や灯籠を流したり神送りの行事が原形にあったお祭りがたくさんあります。「ねぶた」とか「ねぷた」というのは一種の睡魔のことらしく、やってくる収穫の時期に怠け癖などを戒めるためのものだとか。

東北では合歓(ねむ)の花が咲いている時期です。関東では6月中から咲きますね。夢のように梢でフワッと咲く花は真夏の夕暮れに似合います。小さい頃、カブトムシを探しに行った雑木林でひぐらしの鳴き声を遠くに聞きながらよく見上げていました。漢字では「合歓」と書きますが、これは夜になると葉が閉じてぴったり重なるのを恋人たちの夜に掛けた言葉のようです。入れかわりに夕闇が迫る頃、ネムの花は開くのです。笹飾りを流す時に「ねぶた流れよ、まめの葉止まれ」と歌い、ネムを眠りに掛けて流し、マメに働くに通じる豆が残ることを願うともいいます(諸説あります)。

日本列島は海に囲まれています。この時期の天の川は水平線近くで最も幅が広くなりますから、海を介して天と地が大きな「めぐり」をしていると考えられました。海の最果てで、天の川に繋がっていると見たのでしょう。また、海の果てには常世があると観じてきた私達のどこかに、長くさすらっている間に穢れや罪は浄化されると言う観念と、常世へ送られた神々は再び時節になると風や波にのってやってきてくれると言う想いがあるのかも知れません。

七夕のお話しを書いていたらすっかり気分が秋めいてきてしまいました。ことほどさように七夕は夏から秋へのあわいの行事なのです。また、お盆や星祭などの行事と習合し、多様に風流なかたちをもっているのです。

「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」(暦便覧)

とはいえ七月は梅雨も明け、二十四節気では「小暑」、そして「大暑」を迎え、暑さが一段と厳しくなる季節になります。 小暑を過ぎると「暑中見舞い」が届いたりしますね。暑さに身近な人を気遣います。大暑になると百日紅(さるすべり)や夾竹桃、常夏(常夏)とも呼ばれる撫子が咲き、夏空を彩ります。夏草は繁茂し草いきれ、山々は「山滴る」ほどに緑がもりあがります。まるで緑の積乱雲ですが、空には本物の山の峰から雲の峰が立ち上がります。積乱雲は夕立や驟雨ももたらします。蝉の声は喧しく、海際では「夕凪」が風を押し殺し、蒸し風呂のような暑さになるといいます。

この如何ともしがたい暑さに対して、涼味を感じさせる工夫を日本の暮らしに見ることができます。着るものは羅(うすもの)、簾(すだれ)やよしず、風鈴、蚊帳、花茣座(はなござ)、打ち水、夕涼みなど。「夏料理」はこの時期の季語です。見た目にも涼しげな竹やガラスなどの器を使い、氷を敷いたり、花氷をあしらいます。味わいはあっさりとしたものが多くなります。土用丑の日の鰻も忘れてはいけません。夏バテしない工夫です。

先の七夕の際の供物と言えば、瓜や夏の果物ですが、素麺を食す風習もあります。中国の故事に習って索餅(さくべい)という小麦に米粉を加え塩水で練って、縄のように縒ってゆでたものを食べたといいます。「むぎなわ」とも呼ばれました。これが日本では素麺とされたのです。素麺は七夕の節会にお供えする五色の糸束にも見立てられました。細く喉ごしよく延べられた素麺や冷や麦は、見た目も涼しげで、食が細くなる真夏にはひときわ有難いものです。でも、身体を冷やし過ぎないように気をつけないといけませんね。

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_4塚田有一(つかだ ゆういち)

ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。

過去の連載記事はこちらからご覧ください。

花と食で彩る日本の暦〜『入梅』、『夏至』
花と食で彩る日本の暦〜 二十四節気『立夏』
花と食で彩る日本の暦〜 二十四節気『清明』

文: 塚田有一

写真/みやはらたかお

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