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2015.04.11

花と食で彩る日本の暦〜 二十四節気『清明』

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_1

古来より日本の季節と文化によりそって、その節々に祝いや祈りを込めて受け継がれてきた「和暦」。五節句、二十四節気、七十二候というそれぞれの気候や生き物の変化を知らせる区切りの名。いま、時は四月『清明』の節気。時候の花と日本人の暮らしを深める連作のプロジェクト『めぐり花』などで活動する、フラワーアーティストの塚田有一さんに伺いました。

『万物発して清浄明潔なれば此芽は何の草としれる也』

春がいよいよ盛りを迎える「春分」に次ぐ二十四節気のひとつが「清明」です。

江戸時代の書『暦便覧』には「万物発して清浄明潔なれば此芽は何の草としれる也。」と、清明を解説しています。

いまではどのくらいその風習が残っているか分かりませんが、沖縄ではこの節気を「清明(シーミー)」と呼び、家族あるいは親族でお墓へ出かけ、掃き清めた後、持参した花や贄(にえ)をお供えするといいます。拝礼したのちに、彼方から訪れる祖霊の御霊(みたま)とともに賑やかに馳走を食べ、三線をつま弾き、酒を飲み交わすそうです。お正月という一年の区切りがあったとしても、花咲き、草木の芽吹くこの季節は、五体も五感も目醒めを実感するのでしょう。再生したばかりの生命の無事の成長と秋の実りを、ニライカナイからやってくる祖霊に願うのですね。

「春分」は、お彼岸の中日に当たります。東と西が一直線となり、仏教では西の極楽浄土と現世が繋がるとされ、墓前に花を供え、お線香をくゆらせて祖霊に想いを馳せるのです。「想う」ことは「弔う」こと。花は古来、心の形代であり、あの世とこの世を繋ぐものでした。春と秋、それぞれ季節の花から「牡丹餅(ぼたもち)」「お萩」と名を変える餡で包まれた餅を供えるのも、お彼岸に広く見られる風習でしょう。ハレの日、白い餅で清浄な魂を象(かたど)ります。赤い小豆の餡は魔除けであるともに、活力をも意味するのです。

春迎えの儀式、「お花見」で祝い祈られた豊穣のしるし

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_2

清明の頃、平地の里桜はすでに葉桜でしょうか。東京は八重桜がまだ咲いているかもしれません。日本列島は南北に長いですから、春の遅い所ではいまだこれからの所もあります。1ヶ月以上かけて桜前線は列島を駆け上ります。

考えてみれば古く「お花見」といえば、いわゆる里桜ではなく山桜でした。山桜はまだ芽吹き前の眠りの中にいる山で、あらゆる花に魁(さきがけ)て開花します。それは冬枯れ色の山にともる明かりのようにも見えるでしょう。ほんのりいろづいた山桜の花は春の訪れを告げ、農作業に取りかかる印でもありました。

人々は山桜の下に集まり、宴をしました。花は秋の実りの先触れなのです。花が咲けば咲くほどに、実りは約束されます。ですから、もっと咲け、長く咲けと囃(はや)し立て、酒盛りをします。「囃す」とは「生やす」ことなのです。樂を奏で、歌い舞い、手拍子も加わって、山の精と一体になって遊ぶことで、人々もその力を分けてもらい、自らも新しい活力を得て再生するのです。

人々は皆、この花のいのちの短いことは知っています。美しいものは、果敢(はか)ない。それを惜しみ、精一杯讃えることが再生を願うことにもなるのでしょう。

「お花見」の根っこには、日本と言う國において、山が祖霊の魂の眠る場所だと言う観念も潜んでいるようです。

人々は季節ごとに山へ入り、自然の息吹やいのちの糧をもらってきたものです。お正月の松、人日の七草、雛祭りの桃や蓬、お花見の桜、端午の菖蒲、七夕の竹などなど。山はいつでも季節ごとに人が入るのを許容し、エネルギーを分けてくれます。彼らの息吹に触れて、人々も再生を繰り返すのです。そしてその山には、祖霊の魂が眠っていて、里を守ってくれていると考えました。花見の宴は彼らを饗応するものでもあったのでしょう。米づくりが盛んになると、山の神と呼ばれ、秋の稔りのころまで里に降りてきて、田んぼを見守ってくれると見なされました。お花見は、山の神を田の神となってもらうべく迎えにいく行事でもあったのです。

こんな風に見てくると、お花見も沖縄の「シーミー」やお彼岸の行事に近いものだと分かります。桜前線が北上し、紅葉前線は南下する「花綵(かさい)列島」である日本。海に囲まれ、山や谷の襞(ひだ)が複雑な地形を成すこの島国では、海には海の、里には里の、山には山の、それぞれの「春迎え」があるのです。

ほかにも4月8日の灌仏会(かんぶつえ、お釈迦様の誕生日とされる)に限らず、各地で「花祭り」が行われますし、ヨーロッパで盛んな「イースター」も、もとは春の女神の再来を喜ぶものでした。暗く長く寒い冬がようやく明け、冷え震えていた命が、発(は)る春。山笑い、天地(あめつち)が歓喜の歌を歌う春の到来を祝う行事は世界各地で繰り広げられるのです。

食べることは旅、季節の力をいただく春の祭りにでかけましょう

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_3

清明の日は七二候では「つばめ至る」。春告鳥のつばめが飛来し、空で翼をひるがえす季節になります。古くは「つばくろ」と呼ばれました。「つば」は「つばき」と同じように艶のあるという意味でしょうか。つやつやの黒い羽は、輝くみどりにも見えます。海の果てから、いつも同じ頃にやってくる燕の不思議。人家の決まった所に巣作りをして繁殖するので、先祖が姿形を変えて訪れるのだと考えられました。それで、大切にされたのです。

清き、明(あか)き、直(なお)き春。みどりが産声をあげる盛りに、お弁当やお酒を携えて出掛けましょう。遠くまで行かなくても土手や神社や公園でもいいですね。散歩するなら線路脇の手つかずの土手とか……見つけさえすれば。彼らみどりの息吹を浴びることで、身が洗われ、たくさんの栄養をもらえます。

「食べる」とは「旅」とも通ずるのです。人は動物ですから、動いて旅しなければ食べ物にありつけません。「旅」の語源が「賜(た)ぶ」であると同じように、「食べる」ことは「賜(たまわ)る」ことなのです。

野や山はいつも、人々にとって新たに栄養を得て、枯渇しがちなこの身と心の再生の場。茶道の露地、庭園や生け花はこうした場所を身近に引き寄せる物でしたし、お節供などの行事もアッという間に過ぎてしまう暮らしのなかに、野や山の風を取り込むために生み出されたと思います。雛祭り、清明、お花見、たくさんある春の祭りに、このことは記憶され続けています。

花と食で彩る日本の暦〜二十四節気『清明』_4塚田有一(つかだ ゆういち)

ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。

温室  http://onshitsu.com/

文: 塚田有一

写真:みやはらたかお(1、2枚目、ギャラリー内のひよどりと桜)

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